2024/07/10
「製造業における収益改善」⑧ 「計画」について考える
【目次】
1、やって見なければ分からないという当たり前
2、心配の先取りをするな
3、手段方法を変えることにお金は掛からない
4、そもそも論としての「計画」とは?
5、「計画」という基準がメンバーのレベル合わせに繋がる
【要点】
・ 机上での議論、計画はあくまでも仮説設定に過ぎない
・ 行動することで何らかの反応が生じ、ギャップが見えてくる
・ 何事も、やってみないと分からない
・ 失敗は終わりではなく、始まりです
・ 計画を立てるためには、比較できるものが必要
・ 計画の大前提となるのが現状把握
・ 効果が見えてからお金を掛ける
・ 計画自体の正しさを確認することもまた、既に実施段階(Do)です
・ その上で、不備が見えれば修正すれば良い
・ このサイクル自体もまた、「P-D-C-A」
・ 計画遂行にはメンバー間の認識ギャップを埋めることが必要不可欠
・ そのギャップを埋めるものが「施策」、定量的な行動レベルまで落とし込むこと
1、やって見なければ分からないという当たり前
ものごと、やってみなければわかりません。
机上でいくら議論しても、それは仮説の設定に過ぎません。
無論、仮説の設定自体は必要不可欠な条件の「整理」ではあります。
この点は否定しませんが、仮説の設定に時間を掛け過ぎても意味がありません。
実際にやってみる(行動)ことではじめて何らかの反応が生じます。
その反応が望ましいものか、望ましくないものかを評価することでギャップが見えてきます。
行動の結果から判明したギャップを把握して仮説を更新しなければ実(本来得るべき結果、成果)は取れませんし、基本的にそちらの方が手っ取り早いものです。
「5S」における「清潔」と「躾」というサイクルを如何に短いサイクルで回していくか、環境変化の激しい昨今では特に重要になっています。
2、心配の先取りをするな
情報の流れを変えること・不良などの処理ルールを見直すこと、これまでと違うことを行おうとすると心配事が先に出てきます。
出来ない理由が沢山出てくるでしょう。
当然、それらを聞かされると足も竦むというものです。
では、そもそも何故現状変更を行おうとしたのですか?
迷ったら、原点に一度立ち戻れば良いでしょう。
当然のことながら、自らを取り巻く環境の方は容赦なく変化していきます。
足踏みしていること自体がリスクなのです。
議論も大事ですが、やってみて失敗から学ぶことの方が得るものが大きくなります。
成功体験は其処に意識を固着化しかねない危うさがあります。
では、失敗体験はどうでしょうか。
このやり方は不味かった、この点が足りなかった、というような新たな発見をもたらしてくれます。
やり方仕方が悪いと気づければ変えれば良いのです。
足りなかったら足せばよいのです。
失敗して終わりではなく、失敗してからが始まりなのです。
物事に絶対はなく、絶対に成功する法則なんてものは存在しないのですから。
減点主義ではなく、加点主義、何故ならやって見なければ分からない不確実性の高い世界に私達は生きているのです。
前例踏襲こそがリスク、まずはここを原点とすべきかと思います。
3、手段方法を変えることにお金は掛からない
ギャップを把握できれば、変える(更新する)チャンスが得られます。
例えば、改善とは本来お金をかけずにやってみること、作業改善から取組み、確証を得てから設備改善などに移行するのが基本的な流れだったりします。
この段階では、人が居なくなるわけでもなく、モノが無くなる訳でもありません。
取り敢えず、やり方仕方の作業標準の更新にトライすることでギャップを把握、標準化の目途が立ってからお金を掛ける訳です。
この、やり方仕方を変えることも、ある意味計画です。
1) 現状把握
2) 当面の目指す姿の仮設定
3) 現状と当面の目指す姿とのギャップの検証
4) 変化点の設定
5) トライ(仮実施)
6) 結果検証
7) 良好ならば標準化、不足ならば再検証
1)~4)までが計画となります。
計画(Plan)とは、現状把握が出来ていなければ作れません。
何らかの比較対象があってこそ、形作ることが出来るものです。
5)は実行(Do)
6)は評価(Check)
7)は改善(Action)
に相当します。
ここまでは、何かが無くなる訳でもなく、何かを追加する訳でもありません。
あくまでも変えるのは作業、変わるのは作業条件となります。
その結果、作業量の配分や人と設備の関係性等を順次変えていくことになります。
モノの置き場や置き方、設備の場所や向き、情報の出し方等にも波及するかもしれません。
ここまで見えてくれば、投資をすれば良いでしょう。
4、そもそも論としての「計画」とは?
計画とは、計画通り進まないからこそ作るもの、ギャップを把握してより実効性を上げるための道具でもあります。
石橋を叩いて渡ることは無論大切です。
しかし、叩くとは試してみて大丈夫かどうかを具体的に確認するという行動ですよね。
何を持って「大丈夫だ」と判断するには、事前に判断基準を持っていなければなりません。
これもまた、計画です。
「石橋を叩く」とは、実行(Do)に相当します。
要は、計画が正しいかどうかを検証する訳ですから。
足を止めることを意味しません。
計画自体の正しさを確認し、計画を遂行するための本来の行動に速やかに移行する条件を整えるための準備行為です。
その結果、危なそうならば計画自体を修正すればよいだけです。
このサイクル自体が、実のところ「P-D-C-A」のサイクルに相当します。
決して足を止めて動かないことではありません。
5、「計画」という基準がメンバーのレベル合わせに繋がる
何かを変えるということは、負荷が掛かります。
人間には感情があり、これまでの慣れたやり方を変えられるのは基本的には嫌いです。
しかし、変えなければ環境変化についていけません。
だからこそ、「目指す姿」の共有が必要となります。
この段階は、「計画」の「整理」でしょう。
それを、共通言語に翻訳する必要があります。
伝わる形に「整頓」しなければ、伝わりませんから。
図や絵、数値や文章に翻訳する訳です。
ここで作られるのが「計画書」となります。
一連の、物語のようなものでしょうか。
伝わる形、即ちメンバー全員が見える形で提示されれば、実施するためのギャップも見えてきます。
多くの場合最初の関門となるのが、メンバー同士の認識ギャップでしょう。
同じ「計画書」を見ていても、そこからメンバー各自が感じ取るものがそれぞれ違いますから、これは致し方ありません。
計画が実行段階に入って齟齬が生まれる原因のひとつに、これがあります。
認識ギャップがある以上、行動の幅や深さにギャップが生じます。
それを放置すれば、進捗状況にギャップが生じます。
進捗状況のギャップは往々に感情論に繋がり、足の引っ張り合いに繋がります。
計画達成というゴールに向かうにしても、取るべきルートは色々ある訳ですが、個々バラバラのルートを取られると困ることも多くなります。
足並みの揃わない取組みは、失敗の最短コースを走るようなものなのです。
そのため、まずはメンバー間の認識のレベル合わせが必要となります。
本来、「計画」とはこのレベル合わせの基準となるべきものなのです。
進捗「計画」という表現をすれば、より分かり易いでしょうか?
ゴールと、そこに至る道筋、そしてきちんと道筋をクリアしたかどうかという定量的な品質基準、これらがあってこそ計画は成り立つのです。
因みに、これらのことを「施策」と呼ぶことも有ります。
計画を具体的に達成するために、取組みレベルまで落とし込んだもの、これがあるからこそ進捗が追えるものです。
これもまた、【目で見る管理】と言えるでしょう。
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